不登校始まり

現在中学3年生。中学1年生の半ばから不登校に入った。

家族構成は父母息子2人の4人家族。上の子に比べて下の子はすごく育てにくいと感じていた。

このブログでは上の子を一吾(いちご)下の子を楓(かえで)の名前で書きます。

そんな楓と私の、学校、警察、児童相談所、今まで色々あった出来事を少しずつ書いていきたいと思います。

あんたのタイミングで行ったらいいんちゃう?って言えるまで、学校行かない、わがまま、暴言は全部息子が悪いと勘違いして私だけがしんどい!と悲観していた。

不登校の兆しが見えたのは小学6年生の終わりから少しあった。その時は学校に行きたくないと朝起きず、登校の時間まで行きなさい!と怒鳴って何とか行かせようとしていたけど、これ以上言っても布団から出て来ないと諦めて学校に休みます連絡をする事が増えて来ていた。それでも本人は2日続けて休む事はせず、休んだ次の日は学校に行っていた。

中学1年生になり、初めは調子良く登校していたけど、しばらくしてまた休んで、次の日に行くという日々が続いて、とうとう2日連続で休むようになった。そこからいよいよ不登校と言う言葉が頭をよぎり担任の先生も心配してこまめに連絡をくれるようになり学校に通えるように対策を考える事になった。

担任の先生が朝学校に行く時間に毎朝迎えに来てくれることになって、無理やり学校に行かせていたけど、それも楓の負担になって布団から出て来なくなり担任の先生の迎えも一旦無しにしてもらった。先生はいつでも電話してくれたら迎えに行きます!と熱心に相談にも乗ってくれた。楓は迎えに来られるのを凄く嫌がったけど、初めの方はそれで何とか学校に行けてたし、学校に行ってしまえば友達も居たし問題なく学校生活を送って帰りも友達とわちゃわちゃしながら帰って来て、私から見たら朝だけ家を出れば行けるのになーって思ってた。その朝だけがどーしても無理だった。それでも何とか1年生の2学期の初めのぐらいまでは先生が迎えに来たりで行けていた。先生の迎えが中断してそこから登校出来るのが週に1回とか行けない週があったりでほぼ学校に行けず1年生が終わった。その1年生の間も家の中では楓の暴言、壁を殴る、私の事も殴る蹴るで家族皆んなぐちゃぐちゃしていた。夜になると、朝起きれないから早く寝なさい!の戦いが始まり取っ組み合いのケンカが夜中続いてどうしようも無くなっていた。

児童相談所にも相談し、児童相談所の担当の人が警察にもあらかじめ連絡しておく事を勧めてくれた。それに従って警察の少年課にも相談した時に、警察と児童相談所が連携していて、情報は把握してくれていて抑止力になるからどうしようも無くなった時には110すれば警察官が家に来て楓に言い聞かせてくれると言う提案もしてくれた。でもその時に、110番した時にはそのまま児童相談所に連れて行く事になる事もあると言われ、私は勇気が出す楓に殴られても警察に連絡したらこの子はどうなってしまうのかと言う不安にかられ、警察に連絡するという事は出来なかった。

2年生になると担任が変わり、始業式には登校した。その時は凄く嬉しくて私は楓が学校行ったー!2年生から行けるかも!始業式も行ったしスタートはきれた!と思っていた。学校から帰って来た楓は誰々と一緒になれた!誰々はクラス離れてしまった!とかそう言う話も聞けて凄く嬉しかった。

でもそんな学校行ける日は長く続かず、数日でまた学校に行かなくなった。。また毎朝の戦いが続いた。。

もう毎朝の戦いが続けば日常化して来て、今日は行くのか?行かんのか?って様子を見るようになって来た。2年生の担任の先生も初めの方は毎朝迎えに来てくれて雨の日はカッパを着て熱心に迎えに来てくれた。それも私にとって凄くありがたい事だけど、迎えに来てくれて行きたがらない楓を説得して玄関の外まで送りだすのが私自身しんどくなっていた。せっかく来てもらっても本人が頑なに行かない日も多くて、先生に迷惑かけてると思うと申し訳ない気持ちになって、負担になって来ていた。先生もそれを察知してくれてか、迎えも一旦無しにしましょうとなって先生は見守りに入ってくれた。

旦那は朝早くに仕事に出かけるので、この戦いは見ておらず仕事から帰って来たら楓に学校行かなあかんでぐらいの声かけするぐらいだった。ネットで色々調べた情報とかで「見守る」という当時は自分にとってまだまだ受け入れられない言葉が頭の片隅にはあったけど、まだまだそこには行きつきたくないと自分勝手だけどやっぱり不登校になるという事は昔の考えだけど嫌だった。

あんたのタイミング行ったらいいんちゃう?の言葉が出たあの日、この時は学校行けー!と言う私の元気も無くなり、自分自身もしんどくなって来てもう力ずくで楓を学校に行かせるのは無理だろうなと思ってる時期だった。だから自分なりに今までの対応では良くならないと考え見守りに近づけるようにと凝り固まった考えを変えようと考えるようになっていたので、その日も少し様子を見る事にしていた。楓は友達は多く、学校来いよ!とか色々連絡くれたりして、その日も友達と行く約束をしていたみたいだった。その日制服に着替えて楓なりにどーしようかと色々頭の中をぐるぐるしてる様子でリビングで固まっていた。私もえ?着替えてる!今日は行くのか?行かんのか?と制服に着替えた!と嬉しい気持ちを押し殺して何も声をかけずソワソワしながら横目で見守ってると、仕事に行った帰ってくるはずのない旦那が家の近くを通ったからトイレに行こうと家に一瞬帰って来た。楓が制服に着替えてるのを見た瞬間、学校行くん?!って嬉しそうに声をかけた。。旦那は純粋に思った言葉を言っただけだろうが、私が朝からその言葉は言いたくても我慢してそーっと様子を見ていたのが、旦那のその言葉で楓は一瞬にして、何とも言えない悲しいような絶望したような顔をして部屋へ戻ってしまった。2人して親の期待が楓に辛い思いをさせてしまってたと。その一瞬で私も何かが変わった瞬間だった。もう見守ろう。この子の事を尊重しようとあんたのタイミングで〜と言う言葉を発した。その時期もまだ取っ組み合いのケンカ、暴言、暴力があり、殴られる時に身を守るために、二の腕で受け続けていて私の腕には赤紫のあざが出来ていた。夏になると棚の上の物を取る時に半袖のTシャツからあざが出るのを隠しながら、仕事をしていた。

でもあんたのタイミングで行ったらいいんちゃう?って言った当時の気持ちは100%の気持ちでは無く、私と楓がお互いもう限界な気がして少しでも楽に生活する為の言葉だった。

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